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日比谷公園丸の内音頭大盆踊り大会
history
日比谷公園丸の内音頭大盆踊り大会について
丸の内音頭は、昭和4年から始まった世界大恐慌の大きなうねりの中、不況風が吹く世相を景気づけようと、丸の内と有楽町と日比谷の店主たちが、昭和7年に日比谷公園で盆踊り大会を開催しました。このとき、西城八十氏と中山晋平氏に依頼して出来たのが「丸の内音頭」でした。翌年に歌詞を丸の内界隈の地名から、東京の地名に換えて全国的に広がったのが「東京音頭」です。
17年前、時代は丸の内音頭ができた当時と同じく不況の中、かつての「丸の内音頭」の乱舞を再現して不景気を吹き飛ばし、昔懐かしい縁日屋台の風景の先に、明日の活力を見出そうと、日比谷公園開園100周年事業として再開されたのが「日比谷公園丸の内音頭大盆踊り大会」です。
この盆踊り大会も、年々大勢の踊り手で日比谷公園の大噴水の周りは、十重二十重の踊りの輪が広がり、東京都心で開催される都内最大級の盆踊りとして定着し、注目されています。都心の「夏の風物詩」の一つとして耳目を集まるまでになりました。
このような歴史のある「日比谷公園丸の内音頭大盆踊り大会」は、毎年4万人以上の来場者でにぎわっています。
また、この時だけ芝生広場が全面解放され、来場者は、芝生の上で飲食等をして楽しんでいます。金曜日には、丸の内や霞が関周辺にお勤めの方々が、グループで楽しんでいらっしゃいます。
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